吉田 晶代

Masayo Yoshida

プログラム修了年2021年

現在のお仕事について教えてください。

訪問診療を中心に、外来・1-2次救急の診療を行なっています。特に訪問診療では限られた医療資源の中で、患者・家族の身体的・経済的な負担を考えながら、訪問看護・ケアマネジャー・ヘルパー・地域包括支援センターと協働して患者中心の医療を実践しています。病院と同じとはいかないまでも、クリニックでも質の高い医療が受けられたと思っていただけるように、在宅輸血や人工呼吸器・中心静脈栄養・胃瘻の管理、褥瘡処置、麻薬の調整(持続注射管理)などを行なっています。広島市南区のクリニックから、西は廿日市市、東は熊野町まで往診に出ています。

卒業後の経歴

Career

卒後1~2年目

岡山県内の大学病院 初期研修医

卒後3年目

夫の異動に合わせて
鳥取市に引越し

岡山県内の市中病院(400床規模) 総合内科

卒後2-3年目にIdentity crisisになり自分が何科に進みたいのかわからなくなった。医局に所属せず、救急/内科が好きだったことから総合内科に所属したが、常に不全感を抱いていた。

卒後4年目

鳥取県内の市中病院(300床規模) 総合診療科

当時の総合診療科部長だった先生に出会い、全人的・包括的医療とは何かを肌身で感じることができた。そこで初めて家庭医療を知り、自分の将来の指針となった。先生との出会いがなければ現在の自分はないと言っても過言ではない。

卒後5~6年目

広島市立安佐市民病院 総合診療科

総合診療医として研鑽を積むべく広島大学病院総合診療科に入局し、家庭医療専門医プログラムに所属。ロールモデルとなる女医がいたことや、ママさん世代の女医がバリバリ働いている姿にとても刺激を受ける。

卒後7年目

青崎いぶきクリニック

人生初のクリニック勤務となった。かかりつけ医として長く患者に関わり、人となりや疾病背景がわかると解決の糸口が見えることも多くなった。特に訪問診療は、家を見ればその人の生活がわかり、一歩踏み込んだ介入ができるため大きなやりがいを感じられた。

卒後8年目

青崎いぶきクリニック、岡山県内の市中病院(300床規模)

卒後9~10年目

第一子の妊娠・出産

岡山県内の市中病院(300床規模) 総合診療科

卒後11年目

岡山県内の市中病院(300床規模)、広島県内のクリニック

これからのビジョン・目標について教えてください。

卒後10年目に第一子の妊娠・出産を経験して人生の価値観・ワークライフバランスが大きく変わりました。夫婦共働きが当たり前の社会になってきましたが、まだまだ母親の役割は大きく仕事中心から家庭中心にならざるを得ません。ありがたいことに、職場の他医師・スタッフの協力のおかげで何とか職務を遂行できています。もともと教育が好きで若手の指導に注力してきたので、今後も総合診療医の育成に関わっていきたいと思います。将来的にはサブスペシャリティとして感染症領域の専門性を高めたり、病院家庭医を広める活動にも携わりたいと考えています。

3年間の専門研修中で印象的であったことをおしえてください。

研修中から「内省」の習慣が身につき、患者を通して自分自身が人間的に成長できた点です。もともとすごく短気な性格で生活習慣病の患者さんや自己主張の強い患者さんに対して陰性感情を抱いて診療に影響が出ることがありましたが、今となっては患者・家族・医療者はもちろん、自分自身や家族に対して感情的に怒るということはほとんどなくなりました。自分自身を客観的に見つめて振り返り、何が足りなかったか、どうしたらもっと改善できるかを考えられる人間になったと思います。定期的な振り返りの場を設けていただいたこと、事例を通して学びを増やせる環境にあったおかげだと思います。研修初めは複雑困難事例を避けたい気持ちがありましたが、経過の中で困難事例であればあるほどやる気が出るようになっている自分に驚きました。

自分が何者になるのかわからない時期は多くの医学生・医師が経験するのではないでしょうか。私もその一人でした。周りと比べて劣等感を感じたり、疑心暗鬼になる時期がありましたが、ロールモデルや恩師との出会いのおかげで、現在の仕事に大きなやりがいを感じられています。これまでの医学教育制度では臓器別専門医を志望する医学生が多かったと思いますが、総合診療医はどんなフィールド(集中治療、救急、一般病棟、在宅)でも活躍できる人材です。働く場所が変わってもそのニーズに応えることができる貴重な存在です。大病院にいるとその感覚が薄れることもありますが、一度地域に出てみるとその必要性をひしひしと感じます。患者・家族の幸せを医療の面から支えられる、そんな同士が増えることを心から期待しています。